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概要

chiisanamachi

102域を、誰の目にも明らかなように分離する境界とするため、拡幅したのである。●街路「狭」幅の予言現代の街路拡幅の意図はどこにあるかというと、安全性確保・利便性向上・交通渋滞緩和をめざした車の通行のためである。四間道の例に見るまでもなく、街路の拡幅は道に面する2つの地域を分断してしまう。2つの地域をより明確に分ける境界の要素が強く働くのである。ヒュ-マンスケ-ルだった通りが、向かい合う地区の連関性、融合性、有機性を希薄にしてしまう。それが街路拡幅である。日本の街路は“向こう三軒両隣”と表現されてきたように、通りを介して生活が成立し、通りを媒体にコミュニティが育まれてきた。都市の中心市街地の商店街も、人間的なスケ-ル感で適正な幅員を有することで界隈性を保ってきたと思われるが、静岡県の都市の中心商店街は昭和30~40年代にことごとく街路拡幅を完成させてしまった※10。※10 昭和54年12月、東京大学都市工学科の学生・院生を中心に組織された「町並み研究会」(福川裕一現千葉大教授、西村幸夫現東大教授他)が『見付宿の町並みと都市計画』として、街路拡幅と商店街のあり方を論じた報告書を発刊した。この中で、藤枝(昭和41~55拡幅)と掛川(昭和43~47拡幅)を例示し、「街路拡幅自体を全面的に否定するつもりは毛頭ないが、“一般的な”手法による商店街の改造からは“一般的な”商店街しか生まれてこない」と論じている。見付についても、拡幅以外の手立てにより見付の独自性を図ることが重要であると指摘している。また「今後の低成長時代において広幅員の道路を軸とする路線型の商店街が一般形であるとはいえなくなるであろう」と、四半世紀前に現代を予測して警鐘を鳴らしている。