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概要

chiisanamachi

107丁野さんから紹介された寺崎喜三さん※5は、元群馬県職員で前富岡市助役という人だった。よく晴れた、12月にしては暖かい日だった。まったく初対面なのに寺崎さんは上越新幹線高崎駅まで車で出迎えに来ていただいた。助手席にすわりながら、寺崎さんが話す高崎と前橋のこと、群馬県のこと、そして火の見櫓のことを聞いた。●火の見櫓のある風景は、豊かさの指標助役時代に行なったことで、―つだけ後悔していることがあるという。富岡市内に残る火の見櫓のうち二本脚と三本脚のものを解体撤去するという決裁文に判を押してしまったことが、今でも無念でならないというのである。市の消防長がもってきた決裁文を前に「今やこの半鐘の維持の意味も予算もありません」「地域の人たちはどう言っているのですか」「もう半鐘はいらないと言っています」「歴史を積み重ねたもののもつ安らぎや優しさを魅力として活かすことはできないですか」「役割が終わったものはスクラップすることこそが効率というものです」と話し合いは空回りしたという。寺崎さんが住む富岡市には、明治5年(1872)に建てられた富岡製糸工場※6とぃぅ産業遺産があり、寺崎さんはその保存・活用に力を注いできた。火の見櫓もつねづね地域の大切な財産であると考えてきたという。それが助役の時、自らの決裁で火の見櫓を取り壊してしまった。この後悔たるや、年を※5 寺崎喜三(てらさき・よしみつ)さんは元群馬県職員で、1996年から99年まで官岡市助役。現在、「自遊工房」を主宰し、まちづくり塾の運営などを行つている。絵がとても上手で、どこにでも絵筆・パレットを持つてよく出かけられる行動派である。ご自分の書かれた文章には、いつもご自身の絵が入れられている。2000年8月に愛媛県新居浜市で開催された「近代化産業遺産活用全国フォーラム」の席上、丁野さんと寺崎さんの出会いがあった。このとき寺崎さんは群馬県富岡市から単身で車で新居浜まで出かけたという。※6 富岡製糸工場は、明治5年(1872)、時の民部省により建設された日本初の大規模な官営製糸工場である。設計はお雇い外国人のフランス人プリューナ(Brunat,PauDといわれる。「木骨煉瓦造」という木材で柱や梁の建物構造を造り、壁の部分にいわばカーテンウォールとして煉瓦を積んだ、特徴ある構造となっている。創業開始当時の姿がほぼ完全なかたちで残されている。現在、片倉工業帥富岡工場。