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概要

chiisanamachi

110のは、雄川堰(おがわぜき)、その清流沿いの桜並木と町並みである。それは織田氏が寛永6年(1629)から13年余にわたり城下町の基盤整備を行なった結果である。雄川堰を街路の中央に配した城下の町割りを計画し、陣屋※7・侍屋敷には雄川堰の分流を引いている。陣屋内には引水した小堰がめぐらされ、屋敷の南に池泉回遊式の庭園「楽山園」を造営した。水路が城下の重要な基盤とされたのである。雄川堰は、甘楽町を南から北に流れる雄川から※7 江戸時代の石高の小さい藩で、城郭を持てない大名の居所を「陣屋」と称した。陣屋には、軍事的な施設がほとんどみられない。堀はあっても幅は狭く、ないものも多い。石塁は土留め程度に使用し、軍事的構造の櫓、馬出、桝形もほとんど築かれず、天守もない。築かれている場所も要害地でなく、平地である。江戸時代、105の陣屋があったとされるが、城郭と比べ、陣屋の調査・研究はおくれ、消滅の危機に瀕しており、早急に対処する必要があるという。甘楽町の小幡陣屋は国の史跡に指定されている。(シンポジウム「小島陣屋の構造と復元」2004 2 8静岡市教育委員会主催。配布資料より抜粋)桜並木のある市街地の外れから、水流沿いにゆうほどうが整備されている。