ブックタイトルchiisanamachi
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111分水した疎水である。いつごろ築かれたかは明らかになっていないが、織田氏が統治した時にはすでにあったと考えられている。織田氏はさらに改修を重ね、城下の基盤として活用した。堰は生活用水のほかに下流の農業用水として利用し、藩に御用水奉行を置いて管理にあたったという。堰の存在は城下町の計画意図そのものであり、今も甘楽の生活を支えるシンボルとして息づいている。幅2mほどの清流だが、水奉行が管理した伝統は今も引き継がれ、用水組合が年2回水を止めて清掃するほか、住民が一週間交代で毎日、水路内12箇所のスクリーンのコミの回収を行なうなど、保全に力を入れている。●桜並木と自壁の町並み清流に沿った桜並木が美しい。出かけたのが12月だったので、桜の花は見ることができなかったが、満開のときの見事さは想像がつく※8。雄川堰沿いに建つ屋敷の母屋。広い屋敷地に総2階建てのどっしりとした住宅である。建設年代は昭和初期か?