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概要

chiisanamachi

123万治元年(1658)の石垣修復の文書に初見されるが、なぜ津から洲になったかは不明である。たゆたうと流れる肱川は特異な川である。源流から瀬戸内海・伊予灘の河口・長浜まで直線距離にすれば、たった18kmしかないのに、流路は103kmにも及んでいる。そのうえ源流と河口の標高差が480mしかない。大洲は河口から12km隔たっているが、標高は10mである。この特異性が大洲盆地に夏から秋・冬の頃、年間90日以上の朝霧を発生させ大洲の風土を形成している。肱川は江戸から明治にかけて政治・経済の一大動脈であった。明治末期には200艘を超える川舟があったという。隆盛をほこった水運は明治37年、長浜-大洲-内子の新道、大正8年の長浜-大洲-内子間の愛媛鉄道開通で打撃を受け、昭和初期には衰滅した。ポコペン横丁。昭和30年代をイメ-ジした昔懐かしい駄菓子屋などが並ぶ。自主企画の一つ。ホコペンとは中国語で「元が切れる、話にならない」