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概要

chiisanamachi

130ている。城下町の核は城郭であるが、城の周囲に堀を設けたとしても、その外周の町は何の防御機能も持たない都市形態であり、城が「閉ざされた核」として都市生活の機能的核とはなりえなかった。これに対して寺内町は、寺院が都市を構成する有機的核として寺内町の都市生活と密接に結びついていた。環濠や土居を築き、町全体が宗教的連帯感による運命共同体として自衛と防御を基調としていたため、寺院が「開かれた核」として機能していたのである。寺内町は、織田信長と一向宗(浄土真宗)との攻防、いわゆる石山合戦により本願寺とのつながりが絶たれ、江戸時代に入り、やがて在郷町や農村に姿を変えていく。しかし自治的な都市運営を行い、地域社会における政治・経済・宗教上の中心となりえた寺内町百年の歴史は、その建設と運営に関する精神に学ぶべきものは多い。●御所まちの履歴御所市は奈良盆地の西南端に位置する。盆地は、古代以来日本人がふしぎな魅力を感じとってきた場所である。日本人の心をとらえた最も古い盆地は「やまと」である。日本書紀によれば、神武天皇は「秋津洲やまと」を東征の果てに到達すべき所として思い描いていたという。その地が、現在の御所まち周辺一帯の地域である。御所は神武天皇が歌った歴史的地域なのである。4、,5世紀を中心に天皇家の外戚として権勢を