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概要

chiisanamachi

141名ときびしく対決していくことになる。●寺内町百年の歴史の攻防井波の瑞泉寺※3は明徳元年(1390)に創建された。農民を含めた一向宗と守護大名との武力衝突が激化するなか、蓮如は 直接的な対決を極力避けようとするが、文明7年(1475)、富樫正親の攻撃を受け、吉崎は焼き討ちされる。蓮如は吉崎を追われ再び畿内で山科、石山など寺内町建設に意欲を燃やすが、蓮如がいなくなった北陸の門徒は越中に逃れ、井波の瑞泉寺などにたよることになる。そこで政親は福光(現在の富山県西礪波郡福光町)の城主、石黒光義に依頼して瑞泉寺を討伐しようとするが、文明13年(1481)、逆に一向宗門徒に破れ、寺内町側が 完全な勝利を収め、井波※3 本願寺第5代卓如(しゃくにょ)が京都から下向し、瑞泉寺を建立、ここに井波の歴史がはじまったとされる。そこで地下からこんこんと湧き出る霊泉を発見した卓如は、これをもって寺の名を瑞泉寺と名付けるとともに、この地を「井波」と名付けたという。井波・瑞泉寺の山門。たびたびの火災で焼失し、天明5年(1785)起工、享和元年(1801)頃、地元の棟梁松井角平により完成。