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概要

chiisanamachi

143端は永禄2年(1559)、豪族荒木大膳が福光から善徳寺を招いたことにより始まるとされている。大膳は深く仏門に帰依し、荒木氏の城館はすべて善徳寺に寄進され、城端は寺内町として発展していく。織田信長と一向宗との戦いはすさまじいものだったと伝えられる。信長は天正8年(1580)、一向宗の総本山石山本願寺(現在の大阪市)を滅ぼし、翌9年、信長により越中に分封された佐々成政が井波を攻め、瑞泉寺は全焼した。寺内町として城塞化してからちょうど百年であった。井波に対して城端は、町が新しく重視されなかったためか、善徳寺は無傷のまま残された。井波は寺の成立が14世紀末、町が15世紀末に成立し門前町的性格の寺内町であった。城端は16世紀後半、土地の豪族の館が寄進されて成立した町であり城下町的性格の寺内町であったといえる。同じ寺内町として成立したが、性格の違うふた城端曳山会館につづく蔵。この蔵は以前すべて野村家のもの。「野村満花城誕生の地」の石碑が近くに建つ。満花城は北大路魯山人とも交流があった文化人。