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概要

chiisanamachi

144つの町は、その後どのような変遷をたどって現在に至っているのだろうか。●瑞泉寺再建以前に存在した八日町通り井波は砺波平野の南に位置し、標高752mの八乙女山を背にするふもとに立地しており、寺内町として防衛上ふさわしい位置であるとは思われない。城端が台地の先端という防衛拠点の位置とは大きな相違である。これはもともと室町期に成立した瑞泉寺が先にあって、その後に寺内町が形成されたからだと考えられる。佐々成政によって全焼した瑞泉寺は、前田利長が砺波郡を支配するようになり、慶長元年(1596)現在地に再建された。旧瑞泉寺の周囲には土塁の遺構があるが、町の周囲には土塁や堀の跡と思われるものは残されていない。寺内町としての井波は東側の大谷川、西側の段差を境界とする範囲だったと考えられる。再建された現在の瑞泉寺の門前町となっている八日町通りを中心にした扇形の都市構造だったことを読み取ることができるが、八日町通りは瑞泉寺の正面に位置してはいない。山門と本堂を結ぶ軸線とは、ずれているのである。これは何を意味しているかというと、八日町通りは再建される前から存在したのではないかということだ。現在地には寺内町として重要な屋敷があったと考えられる。瑞泉寺に向かう八日町通りを歩くと、近づくにつれて本堂の大きな屋根が姿を現してくる。視界に