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概要

chiisanamachi

146後、瑞泉寺の本堂彫刻のため京都から派遣された御用彫刻師前川三四郎について彫刻の技法を本格的に習ったのが、井波彫刻の始まりとされている。明治以降は神社仏閣だけでなく、民間の需要に応えて住宅用の欄間や衝立、さらに祭礼用の獅子頭などに引き継がれて今日に至っている。この道一筋に技能の研鑚につとめる名工が多く、日展入選・会員80名を数え、井波は芸術家の町※4ともいえる。●二筋と上下一筋の城端の都市構造城端は城ヶ鼻に由来し、2本の川にはさまれた舌状の台地の先端に立地している。城端には「元禄六年組中人々手前品々覚書帳」9冊が保存されている。これは元禄6年(1693)当時の全町家686軒について屋号名前・来住の年・元居住地・主人の年齢・家職・屋敷の間口奥行など網羅している。これにより当時の状況だけでなく、町の成長過程を詳細に知ることができる。天文22年(1553) 5軒、天正元年(1573) 20軒となっており、善徳寺招致が永禄2年(1559)であるから、このころから城端が町らしくなっていったとみることができる。城端は、二筋の東町と西町がそれぞれ上町と下町に分かれ、下(北側)の出丸町、上(南側)の大工町が一筋という明解な都市構造である。6つの町筋は東上町と東下町、西上町と西下町は貫※4 昭和22年に井波彫刻協同組合が結成され、井波彫刻は昭和50年、通産大臣より伝統的工芸品の指定を受けた。戦後、井波の芸術は日展を中心に飛躍的な成長を遂げ、多くの入選者と特選受賞者を生んだ。その分野も彫刻にとどまらず、書道・絵画・モダンア-トにも及んでいる。また、趣味や教養の向上を目的に、芸術創作や民謡など60以上の団体やサ-クルが活動し、多くの人々が芸術文化に接する機会に恵まれているといえる。展示会・展覧会や祭り、コンサ-トなど幅広い文化活動が進められている。