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概要

chiisanamachi

177礁に過ぎなかった。だが1890(明治23)年に三菱の所有となり本格的な石炭採掘がはじまると、炭鉱の廃土による周囲の埋立てが進められた。殖産興業を推進した国家の庇護のもとに、炭鉱の開発と働く人々のための住宅群の建設が盛んに行なわれた。特に1916(大正5)年以降、当時の日本ではまだ実験的段階にあったRC造の高層アパ-トが次々と建てられていく※3。1960(昭和35)年には島内の居住者が5300人を超え、50棟近い建築群がジャングルジムのように林立し、1ha当たり1400人を超す世界でも稀にみる超高密度人口を擁していた。しかし、石炭から石油へのエネルギ-転換政策により次第に合理化と緊縮化が進み、1974(昭和49)年1月閉山となり同年4月20日、離島が完了した。●ビルをつなぐ迷路のような通路と階段そのほぼ1ヶ月前、軍艦島に足を踏み入れた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。居住者の大半は離島していたが、まだ生活の臭いがいたる処に残っていた。ビルをつなぐブリッジや人工地盤、迷路のような通路と階段で構成された高層高密空間が目の前に存在している現実に圧倒された。生活の喜びや悲しみ、怒りや嘆きが、うめきや叫びのように心の奥深くへと響いてくるような感覚だった。島には会社ぐるみの地縁的共同社会が存在したといわれる。空間的には「ゆりかごから墓場まで※3 大正12年の関東大震災後の復興のため同潤会が設立され、RC造の集合住宅を最初に建設したのが1925(大正14)年。それより10年近く前に、この軍艦島でわが国最古のRCアパ-ト(大正5年7階建て)が建設されていたのである。