ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

chiisanamachi

187長良川の中流域にある美濃は昔、上有知といった。「上有知」と書いて「こうずち」と読む。和名抄にみえる有知郷の北部に位置することから、当初は「かみうち」と称したらしい。それが「かんうち」→「かんずち」→「こうずち」になったといわれる。※1●金森長近が計画したまち上有知は慶長5年(1600)関ヶ原の戦の功により徳川家康からこの地を拝領した金森長近※2によって計画された町である。小倉山に城を築き、前を流れる一本の小川、長之瀬川(現在、国道156号)を城の濠に、川の両側を耕地にして、東の丘の上に上有知の町を造ったのである。■Chapter 19美濃みの(岐阜県)上有知が美濃になった理由※1 有知は、内を意味する。隣の関市に下有知(しもうち)がある。かつて中有知村もあった。※2 かなもり・ながちか。飛騨高山の城主だった長近は、養子可重に高山を譲り隠居のかたちで小倉山(159m)に居館を建設。上有知藩の成立である。しかし慶長16年、2代長光が6歳で夭折し、廃藩となった。