ブックタイトルchiisanamachi
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189●誰も読めない「こうずち」の地名「上有知」がいつ、なぜ、どうして「美濃」になったのであろうか。この地は川沿いに平地がなく耕地が少なかった。またコウゾ、ミツマタなどが多く自生していた。さらに川の水が冷たく質がよく豊富だったため、紙の製造に適していた。美濃和紙の起源は奈良時代の正倉院文書によれば当時の戸籍用紙は美濃和紙であったことが記されていることから、天平9年㊨ 二番町常磐町・古川家と平田家の卯建が二つ並んでいる。㊧ 上有知湊の川湊灯台。和紙の他、酒、生糸が船で名古屋、京都へ搬出された。