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概要

chiisanamachi

197称「北の大火」及び明治45年の難波新地の火災、いわゆる「南の大火」によって飛田の将来は一変する。当時の廃娼運動とともに、遊廓は風紀上好ましくないとして、市外への移転をめぐる議論が絶えなかった。北と南の2つの大火を契機として新たな開設の是非が争点となっていたが、大正5年(1916) 4月、大阪府は飛田を「貸座敷」の営業を許可する地区として指定したのである。大正7年12月、飛田遊廓が開業する。飛田遊廓は大阪土地建物会社※6が経営し、200軒を超える貸座敷を賃貸した。台地の直下に位置する飛田は、周囲を4.5mのRC塀で取り囲まれ、外界と隔離された別世界であった。昭和20年(1945) 3月の大阪大空襲で2/3近くを焼失した。※7●“異界”日本のもうひとつの現実昭和21年2月、GHQの命令による公娼制度の廃止、そして昭和32年4月、売春防止法の施行により遊廓は消滅した。現在、飛田は一軒一軒が“料亭”としての許可を得て営業している。間口2間ほどの料亭が150軒ほど存在する。壁から突き出している看板と提灯は統一仕様になっている。提灯に明かりがともるころ、両引きの玄関の戸が開けられ、ライトに照らされた異空間が浮かびあがる。それらが連なる光景は異界の町並みである。「どこにでもある」ような景※6 当初の経営は阪南土地会社。「新世界」にルナパ-ク、通天閣を建設し経営した大阪土地建物会社と、大正15年に合併した。※7 「鯛よし百番」など開業以来の建築が少なからず残されている。「鯛よし百番」は元遊廓、現在は“本物”の料亭である。木造2階、延床面積576.55㎡、平成11年(1999)文化庁「登録有形文化財」第27-0086号