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概要

chiisanamachi

206?和初めの十数年だけであった。だから市民の身近な建築として根づいてはいなかった。市民的価値にまで高められなかった理由がそこにあったと私は思う。※6<コラム> 井桁屋はなぜ存続できなかったのか ※6本稿執筆にあたり、西尾市本町でギャラリ-ますやを営む彦坂わか子氏から多くを聞くことができた。彦坂氏は、「市民全体の声にならなかったこと」、「井桁屋を通して西尾のまちがどうなるのか、みんなで考えることに至らなかったこと」、それが残念だと述懐する。「井桁屋を考えることで西尾の将来を話し合おう」と言い続けたが、聞き入れる人が少なく一つの流れにならなかったと語る。なお、筒井裕子建築研究所(西尾市下矢田町)から2枚の写真を提供していただいた。記して2氏に感謝する。【参考文献】①ふるさと市民塾 かわら版 創刊準備号』2003年3月 ふるさと市民塾事務局②登録文化財級『旧井桁屋』取り壊し 残されたモノ、失われたモノ」『建築ジャ-ナル』2003-9③下英一・元県立高校校長「井桁屋の存続問題について」『愛三時報』2002.6.1④澤泰彦・名古屋大学助教授「井桁屋ビルは貴重な文化的・歴史的遺産」『三河新報』2002. 6.29⑤塩見寛「行動と言動を両輪に突き進むまちづくり案内人」『地域発・三十奏の響き』日本建築士会連合会編著2005年6月 公職研⑤三河新報』2001.4.10/4.17/9.18/2002.3.29/5. 1/2003.4.1/6.27 『愛三時報』2002.2.26『中日新聞』2002.5.6/2003.6.28 『朝日新聞』2003.1.15 『サンデ-毎日』1986.7.6海野弘「西尾 旧井桁屋」