ブックタイトルchiisanamachi
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207近江・越前・若狭の三国の境に三国山(876m)があり、その南東の麓にわずかに開けた盆地がある。戸数30戸ほどの寒村、在原※1である。●「近代化の波」に取り残されて在原は山深い奥地の山ふところに、わずかな生産地をもつ閉じられた地域である。東へ抜ける県※1 平成16年12月末まで滋賀県高島郡マキノ町在原だったが、合併により高島市になった。地名の由来は在原業平が住んでいたからともいうが不詳。明治13年(1880)55戸240人、昭和40年(1965)52世帯212人、50年39世帯149人、60年31世帯105人に激減し、さらに現在は、23世帯70人となっている。明治16年に小学校の在原分教場が設置されたが、3年前にマキノ北小学校在原分校は休校になった。現在小学生は1名。■Chapter 22在あり原はら(滋賀県)生きられた国境の村