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概要

chiisanamachi

25城下の基盤構成をわかりやすく理解することができる。蛇行する酒谷川によって西・南・東を区切られた地域に立地し、東西700m、南北900mほどの広さである。北側の丘陵に飫肥城が築かれ、その南に方形の街路に地割りされた城下が計画された。城に近い一段高い台地上に上級家臣、その南に中級家臣、さらにその南に東西に通る本町通りを商人町とした。本町通りと酒谷川の間にある2本の東西の通りを下級家臣の屋敷と職人町に当てた。緩やかに傾斜した立地環境を段階的にレベル構成し、身分による住み分けが計画されたのである。さらに、城下の北東と西にある街道口に寺院を配置させ、城下の構えとした。●日南市飫肥と日南市油津1950(昭和25)年、城下町・飫肥と港町・油津(あぶらつ)他2町が合併して日南市になった。油津は、江戸時代前期に飫肥藩5代藩主伊東祐実が、飫肥杉の積み出しを容易にするため堀川運河を掘削したから、港機能がさらに向上し栄えた港町である。明治後期から昭和初期にかけて、飫肥杉の積み出しとともに、マグロ・ブリの水揚げで大いににぎわった。日南市は城下町と港町という、まったく性格の違う町が7㎞ほど隔てて相互に関係し合いながら発展してきたまちといえる。