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概要

chiisanamachi

27年経った古びた家が新しくなるし、そして町がきれいになるという考え方であった。城下町の風情を残すというバイパス論より、地元の大勢を占めた拡幅主張論がまさり、1973(昭和48)年、宮崎県知事が拡幅を了解したのである。拡幅のための調査・測量が翌74年に実施され、76年から工事が着手された。●伝建地区選定の経緯一方、歴史的な町並みを保存しようとする運動は飫肥城の復元※3と重要伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)※4の選定へと展開されていった。文化財保護法の改正により、伝建地区制度が創設されたのは1975(昭和50)年だが、飫肥ではそれ以前から、武家屋敷や商家の調査が実施されたり、町並み保存の要望が市に提出されるなど※5、歴史的なものへの理解と取り組みがなされていた。1975年、熊本大学工学部による伝建地区選定のための調査が実施され、翌76年3月31日、本町通りの町並みを高く評価する報告書が市に提出された。しかし、すでに拡幅工事が3月11日に民家の取り壊しから着手されていたため、7月11日に設置された選定委員会は、この報告書の指摘を受け、伝建地区から本町通りを除外することが適切だと結論付けたのである。本町通りをはさんで北と南がくびれた伝建地区になった経緯がここに※3 飫肥城復元事業は、藩校だった振徳堂の修復(第1期工事:1976完成)、大手門の復元及び歴史資料館の建設(第2期工事:1978完成)、松尾の丸の復元(第3期工事:1979完成)であり、これらの事業費が多くを募金によって進められたことに意義がある。※4 2003年3月末現在、61地区(35道府県55市町村)の伝建地区が選定されている。静岡県内には伝建地区はない。市町村が都市計画と保存条例に基づき伝統的建造物群保存地区として「決定」した後、国が重要伝統的建造物群保存地区として「選定」する。※5 1971(昭和41)年、奈良国立文化財研究所沢村仁氏が振徳堂及び小鹿倉家を調査。1973年、歴史的景観都市連絡協議会(16市2町)発足し飫肥市も参加。1974年に当協議会が「町並み保存に関する要望書を市に提出。