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概要

chiisanamachi

33参加が許されたのだった。日本土人会は齊木先生はじめ、蓑原敬氏※7、藤本昌也氏※8、関根伸夫氏※9など異色の(と私には思えた)顔ぶれで構成されていた。その日の例会は、当時東大生研の助教授であった原広司氏※10の集落調査のレクチャ-であった。日本人という人間、日本という土地にもっとこだわりながら、ものを創っていくべきだというのが日本土人会の発想の原点だった。西欧の都市計画の考え方を吸収することに力を注ぎ、従来からあった日本の自然、風土、日本人的感覚がなおざりにされている。その結果が貧しく生々とした味わいに欠ける景観なのだと考え、それを問題視していた。人間の住む場所について土にかかわることから論じ、研究し実践した人たちが「日本土人会」であった。地域のもつ個性と人間とのダイナミックなまでのかかわりが、その場所固有の「かたち」として※7 1958(昭和33)東京大学教養学科アメリカ科卒業。60年日本大学理工学部建築学科卒業。60年より建設省及び茨城県で都市計画の政策立案と実施現場を経験。85年自立。77年当時は茨城県都市計画課長。※8 1937(昭和12)満州生まれ。60年早稲田大学理工学部建築学科卒業。在、関東学院大学教授、日本建築士会連合会制度委員会委員長。※9 彫刻家。1942(昭和17)大宮市生まれ。68年多摩美術大学大学院油画研究科修了。代表作に東京都庁舎「水の神殿」「空の台座」1991など。※10 1936(昭和11)川崎市生まれ。64年東京大学大学院博士課程修了。主な建築作品に田崎美術館、梅田スカイビル、京都駅ビルなど。