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概要

chiisanamachi

62●火の見やぐらサミットの仕掛け人本誌先月、10月号の巻頭「いま、なぜ、火の見櫓か!?」の中で、今年2月に中川根町を主会場に開催された「火の見櫓サミットin榛北」のきっかけとなったのが、平成13(2001)年9月に黒石市で開催された「火の見やぐらサミット」であったことを紹介している。この火の見やぐらサミットは、東京に住む黒石出身の人間が仕掛けたのである。火の見櫓を撮りつづける写真家がいる。網代守男氏※3はNHKカメラマンであったころから、全国の火の見櫓を撮り続けている。小さな写真集も2冊、出版されている。その写真集が出版社勤務の小野利和※4氏の目に止まった。黒石の火の見櫓が紹介されており、今となっては貴重な存在であることが述べられていた。実家のすぐ近くの言わば見慣れた風景が、実は黒石の大きな財産であることを小野さんは気づいたのだった。小野さんは郷里・黒石のまち起こしがなんとかできないかと常々考えていたところ、網代さんの写真に出会ったのである。小野さんはさっそく網代さんに会い、ふたりは意気投合し、その勢いでふるさとに住む同級生、中村弘氏※5に連絡を取り、火の見櫓からの町おこしを働きかけた。中村さんは同級生を中心に呼びかけ平成12年12月に「火の見櫓研究会」を発ち上げ、黒石市長にプッシュしたところ話はトントン拍子に進んだ。鳴海広道市長が青森県議会議長だった時、青森県総務部長だった中川浩明消防庁※3 網代守男(あじろ・もりお) 1932年東京生まれ。千葉大学短大写真科、東京理科大学化学科卒。NHKでニュ-ス及び「自然アルバム」「新日本紀行」などを撮影。写真集に『火の見櫓のある風景』1993年2月、『火の見櫓紀行』1998年5月・光村印刷※4 小野利和さんは現在、東京の出版会社勤務。ご実家は甲徳兵衛町の火の見櫓から歩いて1~2分の所にある。※5 中村弘さんは市議1期、県議1期を経験後、県議2期目で落選。しかし2003年4月の県議選でみごと当選、返り咲いた。