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概要

chiisanamachi

64の見櫓が半鐘を打って人に伝えるように、このサミットが人の心を打って感動を響かせ、火の見櫓を通じて人々のネットワ-クができることを望んでいると述べた。北原教授から6人目のパネリストとしての評価をいただき、しかも交流会では消防庁長官、黒石市長が居並ぶ席に同席させられ、そして鳴海市長から来年はぜひ静岡県でサミット開催をと懇願されたのである。フロアから発言したことが、思いもよらない方向へと進んでしまった。その後の動きは先月号で紹介した通りである。●火の見櫓の行く末は・・・・黒石の町に初めて火の見櫓ができたのは、明治7(1874)年といわれている。梯子を立てて上に半鐘をつるした形のものであった。現在残っている望楼型三階建て火の見櫓は「屯所」と呼ばれ、黒石市内に7軒、そのうち4軒が中心市街地にある。大正9(1920)年から15(1926)年までにできたものである。2階には畳が敷かれ学甲徳兵衛町屯所の望楼