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概要

chiisanamachi

67<コラム> 火の見櫓のヒヤリング調査 ※10中川根町を中心に火の見櫓の履歴等について地元の人たちへのヒアリング調査をはじめている。03年9月6,7日、10月11日の3日間実施した。意外なことの発見が多い。火の見櫓が現在立っている場所は、最初からそこが選ばれたのではなく、半鐘がよく聞こえるように、またどこからでもよく見えるように、場所を転々と変えて、現在の地に落ち着いていることが判明した。5基の櫓について調べた段階だが、みんな場所の移動をしている。地域の人たちが、みんなで協議して決めてきた様子が目に浮かぶようだ。また、屋根のかたち・デザインについても鉄工所に任せっきりでなく、地元の人たちがあ-だこ-だと注文・意見を出し合いながら決めていった経緯をもつ火の見櫓の話を聞いた。磐田市匂坂上の寺谷用水沿いに「火の見」というバス停がある。その四辻に火の見櫓が立っている。屋根は銅板葺き、見張台の手すりには旧岩田村を示す「岩」の文字が入っている。また、通りを隔てた四辻の一角には高さ2m程の時計台がある。火の見櫓と時計台、これだけからでも謂れある四辻であることが窺える。この火の見櫓が貴重で稀有なところは、これだけではない。櫓の下部に鉄の銘板が2つ掲げられている。その一つには「火の見櫓の説明」と刻み込まれている。『昭和拾壱年左記三氏の御寄附に依り竣工 仝拾九年大東亜戦争に供出 仝参拾年七月村と区の強力に依り その土台の上に之を建立す 岩田村第二分団』左記三名の銘板がその左にある。『寄附者芳名 東京市高田本町 由井市郎殿 大連市芝生町 飯田三郎殿 奉天市青葉町 鈴木竹千代殿』火の見櫓の履歴がはっきりと刻まれていることは貴重である。しかし、この火の見櫓が近いうちに解体・撤去される予定があると聞いた。もう一度、地元のみなさんが話し合われることを切に願ってやまない。