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概要

chiisanamachi

7にある港町である。明治以前の帆船時代、瀬戸内海は日本経済の大動脈であり、その沿岸には数多くの港町が営まれ、流通のネットワ-クが形成されていた。広島県福山市鞆町もその一つであった。港湾都市としての鞆を調査している伊東孝日大教授は、鞆には波止、焚場(たでば)、雁木(がんぎ)、船番所、常夜燈がそろって残っており、近世の港湾として唯一の港であると語っている。その鞆の歴史的資産が、広島県と福山市の埋め立て・架橋計画により深刻な打撃を受けようとしている。鞆は静岡から遠く離れているし、鞆の問題は鞆自身の問題かも知れない。しかし歴史や自然環境の蓄積を地域資源としてまちづくりに活かしていくべき時代である。その時代の流れに逆らおうとする動きが大手を振って歩いている。時代に逆行する力が勝ってしまうのか、今、その瀬戸際にきている。鞆港問題は一地域の問題ではなく、日本の歴史文化の重要性を認識し価値を認めるのか、あるいは否定するのかという大きな問題だと思うのである。●鞆の埋め立て・架橋計画鞆港問題が起きたのは、1983(昭和58)年10月、福山市地方港湾審議会が埋め立て計画を承認したことから始まっている。その時は鞆の浦漁協の反対にあい、87年広島県知事が予算化見送りを※2 松居秀子氏は鞆の街なかで、以前床屋だった家を改造して「友光軒」というコーヒーショップを営んでいる。松居さんが町並みゼミに参加するそもそものきっかけは、この店に明石高専の八木雅夫助教授が見えたことである。保存運動5年目にして閉塞感の中で悩み苦しんでいた時、一人の客である八木先生に鞆港問題を訴えたのだった。後日先生より小樽運河問題で活動した峰山冨美さんの本を送っていただき、第20回村上大会への参加を勧められたのである。