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概要

chiisanamachi

8表明したことで一時中断したかに見えたが、89年福山市が県の対応に危機意識をもち、臨海開発構想を発表して再び架橋問題が浮上したのである。それからが熾烈な鞆港問題へと本格化する。「対潮楼の解体再建を支援する会」(90年11月)、「鞆の自然と環境を守る会」「鞆の浦 海の子」「歴史的港湾鞆港を保存する会」(いずれも92年8月)、住民の活動グル-プが相次いで組織され、署名活動、シンポジウム、山側トンネル案の提言などそれぞれ活発な活動を展開するが、一方で鞆港整備並びに県道建設期成同盟会により8,178人分の計画推進署名が福山市に提出された。当時の鞆町の人口は7,133人で、町外や重複分を除外して約6割の住民が計画賛成だったといわれている。行政対住民だけでなく、住民対住民の対立が表面化し持続する状況は悲劇である。賛成・反対双方の住民が、片や署名活動・計画同意、片やシン常夜燈と港の風景