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概要

chiisanamachi

87長い材木は通れないので、新しく一直線の道路を切り開いた。数百人の職人たちが朝早くから日暮れまで働き、神橋・楼門・本殿・鐘楼・三重塔・経蔵・代官住宅などが次々に完成し、翌年11月にはすべての工事が終わった。●男体と女体に向かう2つの道路家光は新社殿の完成だけでは満足できず、「この山をにぎやかな町にしなければならぬ」と考えた。そこで、建設時に切り開いた新道に石段と石垣を築かせ、宅地造成して家を建て、「早く移住すれば土地と家を与える」と御触れを出したのである。工事に来ていた大工や石工、さらに近在の村人たちが殺到したという。現在の茨城県つくば市筑波※6の集落である。Y字の左に分かれた道路の景観。男体峰が正面に見える。白壁・板塀・石垣とよく手入れされた植栽が落ち着いた雰囲気を与える。※6 茨城県つくば市は、昭和62年(1987)11月に4町村(北から大穂町・豊里町・桜村・谷田部町)が合併して誕生した。翌63年1月に筑波町(つくばまち)が加わり、さらに平成15年、市制15周年を機に南部の茎崎町が加わって人口19万7千人の現在のかたちになった。北端の旧筑波町は発展が期待されたが、筑波研究学園都市の計画区域から取り残され(旧町域7,708haのうち計画区域45ha)、合併前2万3千人の人口が千人以上減るなど、地域の衰退に直面している。旧町役場があった町の中心地・北条(筑波山への起点でもあった)は、かつて100軒以上あった商店街は平成16年現在55軒。電器店主(62)は「必要のない合併をした結果がこれだ。とにかく市の中心部しか栄えていない。緩やかな滅亡ですよ」と手厳しい。旧筑波町では合併前「合併メリットが見当たらず地域が埋没する」との不安が根強く、住民の強硬な反対運動が起きた。合併反対を掲げて当選し、最後の筑波町長となった井坂敦美さん(57)は、「国策に従ったとはいえ、町だけの将来を考えるなら、合併は失敗だった」と無念さをにじませる。http://kumanichi.com/feature/gappei/kyoukun/kyoukun01.html